◎人生の余韻
施術を受けた次の日、静かにおきた。
ぼんやりというのとは違う、こころが静かだ。
雨も上がり、回りは静寂そのものだった。
その静寂をうけいれ、静かにそこにいる私。
前日も同じような時間帯におき、あれこれ考え始め、いそいそと動いていた。
ドーム型の何ともいわぬ不思議な空間の中で、頭の中は空っぽ、いや、何もない空っぽではなく、そこには、自発的行為としての静寂を楽しむ自分がいて、私のこころは満たされていた。
かつて、あるお茶会で正倉院の古木を使ったとある棗(薄器)に「例え賑やかなところにいたとしても、まるで静かな自分の時間だけを作れる」という意味の銘がつけられていた。
これまでは、それが不可能なことに思えた。
しかし、今の自分ならその静寂さを受け入れ作ることができると感じた。
建築家 安藤忠雄は「人生に余白が必要なように、都市にも余白が必要です。」といった。
この時、言わんとすることは理解したが、私には“余白”という言葉に漠然と違和感を覚えた。
景観工学第一人者 中村良夫は「人生には余韻が必要なように、都市にも余韻が必要です。」といった。
この時、はじめて“余韻”という言葉がしっくりきた。
皮肉にも、ここへたどり着く直前、香川 直島で安藤忠雄氏設計の作品を目にして、その直島で中村氏の講演を聴いたのだ。
そして、昨晩、施術を受けた『オーラ・デトックス』と“余韻”という言葉にシンクロニシティを感じた。
そして、私はこの静寂の中で自然と涙があふれてきた。
これまでの自分を振り返り、責める、というのではなくただ、顧みて、それに涙した。
そこにネガティブさはない。
ただ、そうだったという“平常心”というべきものがそこにあるだけだ。
近代文明を受け入れた私たちの生活は、目に見えるもの、形あるものをおいすぎた。
それが西洋文化だと思い、それが西洋文化に追いつくことだと思ったからだ。
が、東洋医学に代表されるようなさまざまな医術・施術もある。
“こころ”と“からだ”は当然一体のものでシンクロしている。
だとしたら、五万とある近代化以降の西洋医学の医師が正式で、後のものは民間療法だとすると、それはおかしな事に思えた。
中国では当然ながら、韓国では、西洋医学と東洋医学にそれぞれの専門の医師の立場が確立されているという。
西洋医学ばかりが、全てでも万能選手でもない。
それ以外の療法に、もっと目を向け、光を当てれば、日本でのエセ民間療法はなくなり、さまざまな医療法の中から私たち個人にあった、セレクト治療を自由に受けられるようになるだろう。
ドーム・パラダイスで受けたデトックスメニューは、どこかの宿で受けられるエステメニューやマッサージメニューとは全く違う。
まさに、“施術”という言葉が相応しいと感じた。
成澤ご夫妻の努力と静かな熱意と誠実さ、真摯さ、そして本物を求める姿に、こころから感謝し、これからお二人がますます精進され、またそのお二人にお目に掛かりたいと思った。
私もまたそれまでに、自分の世界で成長していたい、いやしていよう。
そう静かに決意した。
ありがとう・・・・みおさん、ゆきさん。
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plushome様
この旅は、一人旅でご宿泊いただきありがとうございました。
これほどまでにお褒めいただき、テレっと照れてしまいそう(笑)
みお&ゆきの“施術”に満足していただけたこと、本当に嬉しく思います。
愛媛で、えぇ~悲鳴をあげて、はるばる群馬のドーム・パラダイスまでよくぞいらっしゃいました(笑)
私も大学では建築を学びましたので、「人生には余韻が必要なように、都市にも余韻が必要です。」という言葉に共感できます。
ちなみに建築学科の後輩には声優の金田朋子さんがいます。
金朋さんが、もしも建築の仕事をされていたら minushome だったかも(笑)
それにしても愛媛からひとりで車でいらしたとは、こちらに車で来るまでイライラしたことはありませんでしたか?(笑)
でも、もうこれでスッキリと霧も晴れましたから、時代は確実にパナホームよりタマホームより plushome さんですね(笑)
plushome さんの今後のご活躍を心から応援しています。
心からの感謝とダジャレをこめて・・・・みお \(@^O^@)/
女性一人旅の宿泊におすすめ♪